鉄道弘済会を退所し、入院生活は終了。
大阪に戻ってきた。
それから復帰に向けて一つ一つ、復帰してからの生活を想定して確認する作業をしていった。
まず朝起きてスーツを着て徒歩、電車で通勤ルートを辿って職場まで行ってみた。
家はエレベーター無しのマンションの3階、駅まで事故前は10分かからなかったが、15分以上かかるようになっていた。
行きは良くても、帰りはずっと義足を履いていて疲れていて、体力的に辛かった。
電車も通勤時間帯は座れず、満員電車で立っているのはしんどかった。
それでも慣れるしかないと繰り返した。
ソケットの分腰回りが大きくなってしまっていて、前着ていたスーツはぱつんぱつん。
本義足はきっと小さくなってサイズが変わると思っていたので、スーツや服を買うのは最小限にした。
結果、本義足では予想どおりサイズが小さくなり普段着はほとんど事故前のものが着れるようになった。
大阪の街に出掛けてみたりもした。
よく行っていた店で買い物をしていると、前から好きなものは変わっていないことに気付いた。
変わらないんだな、と思った。
事故後に行ったことのないところに行ったり、経験していないことをやる時はいつも不安だった。
それでも、やってみてできないことはなかった。
歩くのが遅くなったのなら、時間に余裕を持てばいい。
楽に移動できるようにエレベーターやエスカレーターを使えるルートを調べていけばいい。
立っているのが難しい時は何かに掴まっていればいい。
義足を履いていて痛みや疲れが出てくれば、トイレにでも入って義足を脱いでマッサージをすればいい。
前と全く同じ、というわけにはいかない。
でも不安でもやってみて、どうやったらできるか考えて工夫すれば本当に不可能なことはほとんどない、と自信がついてきた。
そして、復帰に向けて上司と話をすることになった。
久し振りの会社。
会う人はみんな驚き、喜んでくれた。
事故前のプロジェクトのマネージャーからは人づてに、「前のプロジェクトに戻りたいと言え」と伝えられていた。
いきなり事故でいなくなってしまってプロジェクトに多大な迷惑を掛けた自分に、そんな言葉を掛けてくれることが嬉しかったし、それは自分自身望んでいたことだった。
「もし受け入れてもらえるのであれば、前のプロジェクトに戻りたいです」
と話し、戻ることが決まった。
長期の休み明けということで、産業医と面談しながら試験出社から始めることになった。
最初の一週間は昼まで、それから徐々に時間を延ばしながら3週間。
体がまだ慣れていないので、この配慮は有り難かった。
踏ん張りどころだが、久々の会社生活を楽しむつもりでやっていこうと思った。
上司との面談を終え、復帰が決まった。
やっとここまできたと清々しい気持ちだった。
同時に、ここがスタートなんだと思った。
2008年12月、冬の日の事故。
左脚を失い、障害者としての人生が始まった。
2009年6月、夏の日に戻ってきた。
生きててよかった、と思えた。
事故からちょうど半年の日だった。
(終)
コメント
はじめまして、このサイトの存在を友人から聞いて知りました。私は昨年10月にタクシーに乗っていて交通事故に遭い、右太腿を切断して半年以上たった現在も入院中で、このブログをベッドの上で大変興味深く読ませていただきました。当然多少違う部分もあると思いますが、私も今後進むであろうトレーニングの道筋が参考になります。
こんにちは。
大腿切断なんですね。
状態は人それぞれ違うと思いますので、治療もリハビリも、自分のペースで焦らず進めていってください。
その際に私の経験が参考になれば嬉しいです。
初めまして、私は昨年の9月に病気により右足股関節離断術を受けました。2回目の治療が終わったとこで後、3回の治療が残ってますが、私もまた歩きたいと思い股義足を作る事にしました。それも野田さんのブログを拝見させて頂いたのがきっかけです。どのくらい掛かるかは分かりませんが自分の可能性を信じて頑張りたいと思います。
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コメントありがとうございます!
今は色々と不安もある時期かと思います。
直接お話できた方がよいと思うので、もしよろしければメッセージください!
どうぞよろしくお願いします。