2月末に大阪府立急性期・総合医療センターに転院した。
まずリハビリ方針の説明があった。
目的は義足で日常生活、仕事復帰できるレベルになること。
義足のリハビリは歩行訓練と調整。
義足は型取り〜完成まで2〜3週間かかるとのことだった。
義足を扱うためには筋力が必要。
義足ができるまでの間、そして義足ができてからも筋トレは続ける。
そして健足(右脚)は一度バラバラになって繋ぎ合わせた、というぐらいの大怪我を負っているので機能回復のためPTさんの施術も並行して行う。
「元気だし暇でしょ?」と筋トレはメニューを作ってもらって自主的にやっていくことになった。
筋トレメニューは腹筋、背筋、腕立て伏せと体幹を鍛えるメニューが主。
確かに治療もない入院生活は時間はたっぷりあって、リハ室が開いてる間は一日中ずっと筋トレ。
前の病院の先生の勧めでプロテインも飲んでいて、ずっと筋肉痛で全身パンパン。
もはや何を目指してるのかわからないぐらいだったが、義足ができた時にプラスになるのだろうと、黙々と続けた。
元より、この病院に転院したのはリハビリが目的。
できることは何かと考えると、それしかなかった。
この頃からかも知れない。
現在の状況は変えられない。
その中で、先に向かって今何をするべきかを強く意識するようになったのは。
PTさんが義足リハビリの教科書をプリントアウトしてくれて、股義足での歩行はどうするのか、イメージトレーニング。
当時あった股義足ユーザーさんのHP、「股義足スプリンターの軌跡」ではどう歩いているかの解説もあって、参考になった。
義足ができるまでの時間はもどかしかったが、リハビリ、情報収集と今自分にできることをやっていた。
看護師さんが言うには、「自分を追い込んで、鬼気迫る感じだった」らしい。
自分ではそんなつもりはなかったが、周りから見ると余裕がなかったのかも知れない。
週末は外泊許可を取って家に帰っていた。
そして、ずっと戻りたいと願っていた友達のBar、TWO SAM’S UPに戻る日がやって来た。
驚かせるつもりで事前には数人しか知らせていなくて、大勢の人が集まる友達の誕生日パーティーに合わせて顔を出すことにした。
ドアを開け、「ただいま!」と店に入る。 想像してた通りの見慣れた店内… そしてみんなから返ってくる「おかえり」の声。 来ることを聞いてなかった人は予想どおりの驚き。
それからはいつもと変わらず飲み、喋る喋る。
約3ヵ月振り、相変わらずの面々は全く変わってなくて、入院中なことを忘れさせてくれた。
大勢の仲間に囲まれて記念撮影。
そこには撮ったばかりの集合写真と、その場にいたみんなからの寄せ書きが。
完全に気付かなかった逆サプライズ。
こんな嬉しいサプライズをもらって、つくづく自分は幸せだと思った。
病院のベッドで、世界が自分と自分以外に分かれてしまったような感覚に襲われたこともあった。
でも、自分には「ただいま」と言える場所があって、「おかえり」と迎えてくれる仲間がいる。
いつかこの日が来ることが、どれほど力を与えてくれただろう。
そして、その日を迎えてみんなに再会して、改めてこれから先何があっても大丈夫、もっともっと強くなれると信じることができた。