切断~復帰経過:その15ー脚を失い、ふたたび義足で立ち上がるまでの記録。

 

鉄道弘済会でのリハビリも後半になると、歩くことに対して不安はほとんどなくなっていた。

しかし、思いついた不安はリハビリ中に克服しておきたかった。
残り少なくなったリハビリ期間は、日常生活に戻った時を想定して何が不安か考え、一つ一つその要素を克服していく作業だった。
スーツ着て革靴履いてカバンと傘を持って歩く練習をしたり、体力をつけるためにトレッドミルで長い時間歩いてみたり。

鉄道弘済会に入所中は、ずっと楽しかった。
リハビリは順調そのものだったし、理学療法士さんや義肢装具士さん、義足仲間でもある患者さんと話している時間が楽しかった。

考えてみれば、それまで他の患者さんと話をすることはほとんどなかった。
ようやく、気持ちに余裕ができていたのかも知れない。

復帰してからの生活も現実感を持って考えられるようになってきた。
きっと仕事や日常生活でできないことはほとんどなく、ほぼ変わらない生活ができるだろう、という自信も持てるようになっていた。

しかし、リハビリだけでは限界があって、職場復帰前には日常生活で慣らす期間も必要だと思っていた。
退院から復帰まで、慣らす期間を2週間作ろうと決めた。

リハビリ期間中は外していた外装をまた着けてもらい、義足もできあがった。

そして、鉄道弘済会を退所し、大阪に戻った。
3週間という短い間だったが、刺激に満ち、密度の濃い時間だった。

義足での生活は一生続く。
鉄道弘済会やヘルスエンジェルスを通じて多くの義足関係者の方々と繫がりを持てたことは大きなプラスになると思った。

こうして、およそ半年間の入院生活が終了した。
できることはやった。
入院生活でやり残したことはなかった。

入院生活を通じて自分を支えてくれた家族、職場の方々、友達、病院のスタッフの方々には感謝の気持ちでいっぱいだった。
この方々の支えがなければ、入院生活を乗り切ることは間違いなくできなかっただろう。
素晴らしい方々に出会えて自分は本当に運が良いな、と改めて感じた。

そこからの日常生活、職場復帰への道は自分との戦い。
あと少しで戻れる、もうひと踏ん張り、と感じていた。


(続く)

切断〜復帰経過:まとめ

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コメント

  1. MC より:

    大阪に戻られたんですね。あちらが地元なんですか?
    野田さんのブログを読んで僕も何とか頑張っています。面倒くさいけど、修行と思ってなるべく毎日義足を着けて行くようになりました。不思議なもので何日か続けて着けて行くだけで、それが「普通に」なってきたりします。
    鉄道弘済会とか東京に来るときはぜひご連絡下さい。

  2. MC より:

    今日は偶然お目にかかれて良かったです。股義足の調整に来ていた女性,歩くの上手かったですね。やっぱり「場数」を踏むことなんですね。それに健足の筋力がとても重要だと知った次第。またお会いできると嬉しいです。

  3. 野田 隼平 より:

    MCさん、
    はい。大阪勤務になりました。
    義足って最初は面倒なものですが、履いているのが普通になってくると、義足履いてない時の不自由さがもどかしくなってきますね〜。
    偶然でしたね↑
    リハビリ頑張ってらっしゃいますね!
    調整来ていた子も、義足履いていろんな場数を踏んでるからこそ上手になってるんだと思います。
    無茶は禁物ですが、徐々に場数を踏んでいって頂ければと思います↑