脚を切断して間もない、あるいはこれから切断するという方からご相談を受けることが増えてきました。
脚がなくなることは、人生において大きなできごとであることは間違いなく、不安なものです。
かつては自分も不安でした。
事故で脚を切断して8年半が経った今、私は自分が義足であることをどう感じているか。
正直にいうと、私は脚がなくなったぐらいで人生は終わらないし、ほかに考えることはいくらでもあるので、ふだんは義足なことはたいして気にしていません。
人それぞれとらえ方、感じ方は違っていて私の考えを押し付けるわけではありませんが、義足を履いて9年目の私のリアルな感覚。
こんな風に考えている人もいると思っていただければ。
まったく悩んではいない。めんどくさいことはあるけれど。
まず、今私は義足であることをまったく悩んではいません。
風に弱かったり、足場が悪いところが苦手だったり、ずっと座っていることが辛かったり、歩くのが遅かったりとめんどくさいことはそれなりにありますが。
「めんどくさいなー」ぐらいです。
「趣味=義足」「好きなもの=義足」
一方、「義足は個性」とも思っていません。
どちらかというとめんどくさいし、2本あった方が便利なので脚はあった方がいいと思ってます。
どちらかというと趣味という感覚に近い。
義足にならなかったら陸上はやってないだろうし、ブログをはじめることもなかっただろうな、と思います。
また、義足そのものにも興味があっておもしろさを感じています。
義足から派生して趣味ができたり、義足そのものにおもしろさを感じているので「趣味=義足」、「好きなもの=義足」と言っても過言ではありません。
失ったものは脚しかない
これは自分が運がよかっただけかもしれませんが、事故で失ったものは脚しかありません。
それどころか、たくさんの人に出会ったり、おもしろい経験をたくさんさせてもらっていて、逆に得たものだってたくさんあります。
脚を失わなかったら、今ほど充実した生活を送れているかはわかりません。
まあ、今よりも充実した生活を送っている可能性もありますが。
脚があってもなくても自分は自分
入院時代の後半、日常生活に少しづつ戻ってきた時に感じたのは、「脚があってもなくても自分は自分」ということ。
脚がなくなる前から好きなもの、好きなことは変わらなかったし、考え方も大きく変わることもなく、自分が変わった気はしませんでした。
その感覚は退院しても、仕事に復帰しても同じでした。
「自分はこうだ」という強い思いがあったわけではないのですが、ただ30年間生きてきた自分というものは、脚が一本なくなったぐらいで変わるものでもありません。
残された可能性はいくらでもある
「パラリンピックの父」とよばれるルードヴィヒ・グッドマンは、「失ったものを数えるな。残されたものを最大限に生かせ」という言葉を残したとされています。
また、あるパラリンピック選手はこんな言葉を残しています。
「私は事故で右足を失った。そして左足は残っている。失った右足を後悔して生きるのか、残った左足の可能性を見て生きるのか、私は後者を希望と呼ぶ」
私はこれらの言葉に同調します。
ちょっとできないことが増えるかもしれませんが、できることはいくらでも残っています。
私はその残された可能性を見て日々過ごしています。
今の自分にはやりたいことが多すぎて時間が足りないぐらい。
これから何をしていくか予想もつかないし、自分自身楽しみです。
まとめ
ここまで挙げたことが、義足生活9年目に入った私が自分が義足であることへの率直な思いです。
・まったく悩んでいない。めんどくさいことはあるけれど。
・「趣味=義足」「好きなもの=義足」
・失ったものは脚しかない
・脚があってもなくても自分は自分
・残された可能性はいくらでもある
正直、あまり気にしていないし、義足だからといって特別なこともないと思っています。
脚がなくなることで不安や悩みを抱えておられる方もおられるでしょう。
そんな方に、こんな考え方もあると思っていただければ。
それでは、また。