食事の時に少し体を起こすぐらいだったが、それだけでも激痛が走った。
そして、一般病棟に移った。
多少動けるようにはなっていたが背中の痛みは引かないまま。
また、左脚の切断した部分の傷口が塞がらず、毎日傷口を洗浄する処置を受けていた。
この頃は、毎朝早く目が覚めてしまい、気分が落ち込んでいた。
世の中が自分と自分以外に分かれてしまったような感覚。
テレビを見ても自分には関係ない、別の世界の話のように感じていた。
どんな生活を送っているか情報はなく、想像もつかなかった。
そんな中、さらに情報を探し続けていたところ、あるホームページを見つけた。
「股義足スプリンターの軌跡」(今では閉鎖)
実用的に歩くことは難しいと言われている中、かつて股義足で走っていた人がいた。
走ることができるのなら、歩くことは絶対できると確信した。
一筋の光が見えた。
この頃からかも知れない。
「自分で自分の限界を作ることはしない」
「物理的に不可能なこと以外はあきらめない」
と決めたのは。
また、面会ができるようになり、友達が面会に来てくれた。
いつも遊んでいたメンバーが大人数で。
待ち望んでいたみんなとの再会。
この時が来ることが苦しい時間を乗り越える力になっていた。
時間にしてみれば、会ってなかった時間は一ヶ月半程度。
それでも、ひどく久しぶりに感じた。
その時の自分の状態は、左脚はなくなり、右脚のギブスは着けたままで車椅子。
一ヶ月半前からは想像もつかない、変わってしまった姿。
それでも、みんな変わらず接してくれた。
病院一階のドトールで、迷惑だっただろうな…と思うほど笑い、騒いでいた。
毎朝の気分の落ち込みは続いていたが、この時間は現実と繋がっていると感じることができた。
(続く)