切断~復帰経過:その5ー脚を失い、ふたたび義足で立ち上がるまでの記録。

 

一般病棟に移って数週間。
この頃の状態は、
・左脚:傷口が塞がらず、毎日洗浄の処置。
・右脚:植皮した皮膚が生着するのを待つ。絶対安静でギブスで固定。
・背中:全面から採皮されていて、皮膚が再生するのを待つ。

脚に痛みはなかったが、背中はひどい痛みだった。
右脚に移植した皮膚が生着しなければまた植皮する必要があり、さらに採皮の痛みに耐えなければならなかった。

そして右脚のギブスを外す時が来た。
先生が生着の様子を見る時は祈るような気持ちだった。
しかし、先生が一言。

「パーフェクト」

楽観的なことをほとんど言わない先生がここまで言い切るのは珍しいこと。
本当にほっとした。

一ヶ月半ぶりに解放された右脚。
次第にリハビリも始めていくとのことだった。

看護師さんが言うには、運び込まれた時は「骨から腱からフルオープンな状態」だったそうで、そこからここまで整復してくれた先生に感謝した。

そして始まった右脚のリハビリ。
全く動かせず、筋肉の移植、壊死した部分を除去する処置も行っていたため、筋力はかなり落ちていた。
体重をかけるのが怖かった。

おそるおそる体重を右脚に乗せ、一ヶ月半振りに立った。

平行棒で支えて立つのがやっとで、少し立っては膝から力が抜けてしまう状態だったがそれでも、自分の脚で立てた。

家族はここまで回復したことに涙を浮かべていた。

それから毎日少しずつ、自分の脚で立つリハビリが進められた。
右脚は90度も曲がらない状態だったため、CPMという拷問器具のような機械で可動域を広げていくためのリハビリも始められた。
また、リハビリの時間は一日一時間程度と限られていたので、少しでも筋力を戻せるよう、病室では片脚で立ち続けるまったく自己流の自主トレをしていた。

恐れていたのは2〜3日に一度の背中のガーゼ交換。
麻酔なしで耐えられる痛みではなく、麻酔を打ってギリギリ耐えられるほどの激痛。
ガーゼ交換がある日は本当に憂鬱だった。

この頃になると、毎週末友達が大挙してお見舞いに来てくれて、ドトールで大騒ぎしていた。
幻肢痛はずっとあったが、みんなといる時は幻肢痛を感じていないことに気付いた。
痛み止めも効かない幻肢痛が、みんなといる時は感じない。
気持ちの問題なんだな、と気付かせてくれた。

それでも、気持ちの落ち込みがなくなったわけではなかった。
時間だけは十分過ぎるほどあって、「なぜ生き残った?なぜちゃんと死ななかった?」という考えが頭をよぎることもしばしばだった。
毎日思っていたかも知れない。

しかし、結局「生き残ったのだからジタバタしてもしょうがない。生きよう」と気持ちは揺れながらも思うことができたのは支えてくれる家族、友達がいてくれたから。
そしてこうやって、生きることと向き合った時間が、与えられた命がある限り前に進もうという意思をより強くしてくれたのだと思う。

リハビリは立つことから始まり、少しずつ距離を延ばして平行棒の中を歩く訓練、さらに松葉杖の歩行訓練も始まった。
松葉杖が使えるようになれば格段に動けるようになる。
きっとこの先ずっと松葉杖は使っていくことになるとわかっていたので、早く使いこなせるようになろうと、真剣だった。

義足使いこなすには筋力が必要、ということで筋トレも始まった。
先生の勧めでプロテインも飲み始め、ラグビー部出身のPTの先生と一緒に筋トレの毎日。
今思えば、このリハビリは本当に正しかった。

後に義足を履き始めた時、入院前よりも筋力はついていたぐらいで義足を履く体は出来上がっていたため、義足を使いこなすための訓練に集中することができたのだと思う。

一方、左脚はなかなか傷口が塞がらず、洗浄の処置が続いていた。

職場復帰の目標は4月と決めていた。
義足のリハビリは2ヶ月はかかると思っていたので、時間がないと焦りもあったが、傷は自分ではどうしようもなく、治るのを待つことしかできなかった。

(続く)

切断〜復帰経過:まとめ

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