切断~復帰経過:その10ー脚を失い、ふたたび義足で立ち上がるまでの記録。

 

義足リハビリを初めて数週間。
何十、何百回と平行棒の中でひたすら往復する日々が続いた。

体重がかかる坐骨、ソケットが擦れる腰の部分は常に痛みがあった。
週に一度装具士さんが来る日には、歩きを見てもらいながら調整も引き続いて行っていたが、何がいい歩きなのか自分自身よくわかっていなかった。

そんな中気付いた。
目の前のことに必死になり過ぎて、目標を見失いかけていた。
この病院に来た理由は義足の歩行訓練。
ということは、歩けるようになれば退院。

「歩けるようになる」それは、入院以来初めて持つことができた能動的な、自分でたぐり寄せることができる目標。
日々の地道なリハビリは、確かにその目標に繋がっているのだと。

全力でやってやろうと決めた。
それから、その日一日全力を尽くしたか、自問自答するようになっていた。

そう思いながらリハビリを重ね、少しずつ上達していっていた。
次第に平行棒から離れ、片手に杖で歩くようにもなっていた。

しかし、まだ杖を離すとバランスを取ることができず、全く歩けなかったし、屋外の平らではない地面では、義足を擦ってしまって杖をついていても歩くことは難しかった。

そんな中、従兄弟の結婚式で東京に行く機会があった。
東京では行ってみたいところがあった。

須川まきこさんに紹介してもらった、鉄道弘済会義肢装具サポートセンター。
多くのユーザーがいて、義足に関して多くの症例を診ている施設。
どうしても一度訪れてみたかった。

そして、初めて訪れたその施設で目にしたものは衝撃だった。
リハビリ室で目にしたのは、
患者は全員が義足。
自転車の練習をしている大腿義足の女の子。
ハイヒールで歩いている大腿義足の女の子。

リハビリで単純に歩く以上のことをやっているのが驚きだった。
そしてここでは、義足であることは特別なことじゃない。
想像していなかったほど、明るい光景だった。

PTさんは股義足で杖無しで歩いているユーザーさんの動画を見せてくれて、「これぐらいにはなって欲しい」と話してくれた。

どう歩けばいいのか、どこが目標なのかわかっていなかった自分にとって、初めて目標となる形を示してくれた。
このイメージが、それからのリハビリで目指すレベルになった。

大阪に戻り、そのレベルを目指して一層リハビリに打ち込むようになった。


(続く)

切断〜復帰経過:まとめ

←その9:初義足 その11:再転院→