鉄道弘済会でリハビリの日々。
そんな中、臼井さんから臼井さんが主宰する切断者スポーツクラブ、ヘルスエンジェルスの練習会に「おいでよ」と誘われた。
須川まきちゃんから聞いていた、ヘルスエンジェルスとそこにいる義足仲間たち。
東京にいるうちになんとしても参加するつもりだったが、臼井さんが誘ってくれて気楽に参加することができた。
ただ、その時は特に走りたいとも思っていなかったし、走れるとも思っていなかった。
その場に行って、ヘルスエンジェルスの義足仲間と知り合いたいと思っていた。
期待でいっぱいで当日を迎えた。
練習の場所は東京都障害者スポーツセンター。
当日の天気はあいにくの雨。
練習開始頃には雨はやんでいたが、地面は濡れている状態だった。
参加者は義足暦数十年のベテランユーザーから、自分のように切断間もない初心者まで、幅広いメンバー。
和気あいあいと、思い思いに走ったり喋ったり。
数十人の義足ユーザーが陸上競技場のトラックで走るのは圧巻の光景だった。
そんな中、他の人が走るところを見ていたり、周りの人と喋ったりしていた自分に臼井さんが声を掛けてきた。
「走ってみなよ」
自然で、何気ない雰囲気の一言だった。
走れるかどうかなんてわからない。
走るつもりで来ていなくて、普段着で靴も運動靴ではなかった。
しかし、臼井さんになんでもないことのように言われ、不思議とやってみる気になっていた。
今までやったことのない勢いで地面を蹴り、跳んだ。
健足で跳び、義足で着地する。
着地した時には地面から経験したことがない衝撃が返ってきた。
走っていると言えるのかわからないぐらい、数メートル程度だったかも知れない。
雨上がりの地面、運動する靴でなかったこともあり、滑って転倒した。
でも、その時感じた。
「走れる」と。
今はまだうまくは走れない。
でも走ることは、決して物理的に不可能なことではないと確信した。
これが自分の走る原点。
5月の暖かい日曜日だった。
そして期待していたとおり、たくさんの義足仲間に出会うことができた。
明るく、前向きな普通の人達で、初参加の自分を温かく迎えてくれた。
それまで、自分以外に切断者がおらず、とても自分が「普通」とは思えなかった。
しかし、鉄道弘済会やヘルスエンジェルスでたくさんの義足仲間と出会い、触れ合ううちに感じたことは、「脚がないだけで普通の人」だった。
また、義足のことについて自然に語れる場が新鮮だった。
自分は友達に切断や義足のことについて話すことは特に嫌ではなかったが、 どこか触れてはいけないことのように遠慮されている雰囲気を感じ、居心地の悪さを感じることもあった。
しかし、ここでは切断や義足について話すことは、ニュースやテレビ、音楽などについて話すのと変わらない、ただの共通の話題の一つだった。
障害について話すことがタブーではない、そんな雰囲気をとても居心地良く感じた。
ヘルスエンジェルスの練習会は、自分自身の価値観が変わるほどの衝撃で、多くのことを感じることができた。
走ることは不可能ではない。
脚がないのは不便ではあるがただそれだけのことで、自分も含め切断者は「脚がないだけの普通の人」。
まだ入院中の時期にそう感じられたのは、復帰して障害者として広い社会と接するようになった時に自分を支えてくれたものであったと思う。
(続く)
切断~復帰経過:まとめ
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