「できない」への対処法。「不可能」と「難しい」は分けて考える。

脚を切断して間もない、あるいは切断することが決まっているという方からのご相談でよくあるのが、「周囲の方から”〜はできない”と言われて落ち込んでいます」というものです。

よくよく話を聞いてみると、言った方の意図や受け取った方の捉えかたで、認識にすれ違いが生じている場合があります。

私は「できない」といわれた場合、「不可能」なことと「難しい」ということを分けて見極め、対処する必要があると考えています。

不可能なことは証明できない

私は、不可能であることを証明することはできないと思っています。

「股義足で脚を横に開いてシコを踏む」など物理的にあきらかに不可能なことは別ですが。

“〜はできない”と言われた場合、確率が低い、あるいは「非常に難しい」ということはありますし、それが間違っているわけではないでしょうが、それが必ずしも不可能なことであるとは限らないと考えています。

可能であることを証明するのは簡単

一方、可能であることを証明することは簡単。

一度やってみせれば「不可能なこと」は「可能なこと」になり下がります。

私が股義足で走りはじめ、記録に残そうと考えたのはこのためです。

IPCランキングで公式記録を残せば、世界に対して股義足で走ることは「可能なこと」であると証明できる。

もはやこれは証明できたと考えていますし、自分以外にも日本国内では股義足で走りだした方も出てきました。

私が知る股義足の子どもたちも、数人走り出そうとしています。

次の世代に流れを引き継げるまでもう少しですね。

「できない」の意味

また「できない」が「難しい」という意味で使われるケースもあります。

私の場合、股関節離断にする際、義足で歩くことは難しいと説明を受けました。

そのとき私は、義足で歩くことは難しいであって不可能ではない、ととらえました。

股義足というものが存在する以上、難しいかもしれないが「歩ける」。

それなら歩けるまでやってやろうと思いました。

この「難しい」という言葉は厳しいようですが、私はこの言葉に逆に希望を感じたのです。

「難しい」の程度はあると思いますが、それを乗り越えれば可能なことだととらえています。

「できない」といわれた場合に、やればできる「難しいこと」なのか、本当にできない「不可能なこと」なのか冷静に判断することが必要です。

「不可能」と「難しい」を分けて考える

とはいえ、以前も書いたとおり時間は限られています。

やること、やらないことを決めるって大事。

私であれば、「不可能」なことと判断すれば、時間を費やすことはしない「やらない」ことになるでしょう。

一方、「難しい」ことなら、その困難さの程度と自分がやりたい重要さの重みづけでやるかやらないかを判断します。

いずれにしても、「不可能」と「難しい」は分けて考え、「できない」といわれた場合には、それが両者のいずれに該当し、どう対処するのかを考えていくことが重要だと思います。

もしお悩みであれば、問い合わせフォームからご連絡いただければ、自分の経験からできる限りお答えさせていただきますので、ご活用ください。

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それでは、また。

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